こんにちは、ひでです。
サルバドールに来た大きな理由の一つが、「黒人文化に端を発する伝統芸能」に触れることでした。
とりわけ、私にとって身近なのがカポエイラ。
格闘舞踏などとも呼ばれる、格闘技とダンスの合いの子のようなものです。
カポエイラは、もともとは黒人奴隷が身を守るために編み出した自衛手段でした。
しかし表だって格闘技の練習なんかしていたら、雇用主(?)の白人から「謀反の恐れあり」と思われて弾圧されてしまう。
そこで独特の音楽をまじえ、リズムを取りながらダンスに見せかけて練習できるように工夫されたのが、カポエイラです。
カポエイラの技のほとんどが蹴りで構成されているのも、黒人奴隷たちは手枷をはめられて、足しか自由に動かせなかったため。
こうしてカポエイラは、足技を主体とした格闘舞踏、という他に類を見ない発展を遂げたのでした。
私は前回・2003年の南米旅行時に、リオデジャネイロで1カ月間、ほぼ毎日カポエイラの道場に通いました。
たかが一カ月、されど一カ月。
身体が固かったり、ビビリなせいもあって(?)宙返り系の技は全然できなかったけど、「ジンガ」と呼ばれる基本ステップはそこそこできるようになりました。
日本に帰ってからも、新宿でルームシェアしてた頃には東京のカポエイラ団体「カポエィラ・テンポ」に週一で通ったりしていました。
シゴトが忙しかったりして、半年くらいしか続かなかったけど……。
……とまぁ、日本ではイマイチ知られてないかもしれないけど、個人的にはかなり馴染み深いカポエイラ。
その本場が、サルバドールなのです。
ある日、バイーアの歴史地区を歩いていたら、この看板を見つけました。
「FUNDACAO MESTRE BIMBA」。
知らない人が見ても、これがカポエイラの道場の看板だなんて分からないよね。
「CAPOEIRA」って書いてないし。
でも多少なりともカポエイラをかじったことのある人なら、メストレ・ビンバの名前を知らない人はいません(FUNDACAOは学校、MESTREは先生とか師匠とかいうような意味です)。
彼は、近代カポエイラの父と呼ばれている偉大な人。
実はカポエイラは、一時はブラジルの法律で禁止されていたのですが、彼の功績によってその法律が改正されて合法化されたのです。
ほかにも彼は、ずっと路上でしかやられていなかったカポエイラの道場を史上初めて建設したり、現在のカポエイラのスタイル(カポエイラ・ヘジォナウ)を確立したり……などなど、とにかくスゴイ人なんです。
何気なく歩いていてこの看板を見つけたときには、独りで大興奮してました。笑
入口は狭い土産物屋の奥にあり、非常に分かりづらいのですが、道場は地下にあります。
私がリオデジャネイロや東京で習っていた場所よりもずっと狭くて、かなり動きづらそう……。
さらに床は硬い石畳で、側転とかバク転とかを失敗したら、かなりエライことになりそう……。
でもそれゆえに(?)歴史を感じます。
メンバーの一人に話を聞いたところ、この道場は映画の舞台になったこともあるんだそうです。
ちょうどタイミングが良く、ホーダ(組み手の発表会のようなもの)を見ることができました。
狭い空間だからこそ生じる一体感、充満する熱気とエナジー。
素晴らしかった。
実は、サルバドールの歴史地区の中心広場であるジェズス広場には、ちょいちょいカポエイリスタ(カポエイラをやる人)がたむろしていて、観光客に軽くジョーゴ(組み手)を見せたりしています。
でもそれはあくまでも観光客相手の商売でしかなく、まったく本気ではありません。
それでいて商売っ気は強く、ちょっと遠巻きに眺めているだけでも「チップを寄越せ」と迫ってきます。
私は写真は撮らなかったけど、カメラを向けるともっと激しくチップを要求されるそうです。
もちろんお金を稼ぐのは大事なことではあるけど、個人的には「サルバドールのカポエイラってこんな感じなのか……?」と、かなり幻滅していました。
でもたまたま看板を見つけて、「あの偉大なMESTRE BIMBA」が開いた道場に入れて、しかもタイミング良くホーダまで見られて、本当に良かった。
なおこの日、私は一人じゃありませんでした。
日本人旅行者のカズくん。
ボンフィン教会に行った日に知り合って、その後はけっこう行動を共にしました。
この日、カズくんと一緒に食べた昼食。
バイーアの伝統料理、モケカです。
貧乏旅行者が気軽に食べられる値段ではなかったけど、「せっかくバイーアに来たんだから一回くらい食べとこう!」と奮発しました。笑
右の大皿に入っているのがメインで、海鮮たっぷりのシチューみたいな感じです。
旨かった!
カズくんとは、別の日にライブに行ったりもしました。
週末になると入場無料で見られるライブもあったので、缶ビール片手にのんびり楽しみました。
このライブは有料だったけど、海辺の会場でなかなか良い雰囲気だったっけ。
音楽の曲調は、全体的に南国特有のとろりとした少しスローテンポなものが多かったように思います。
私は日本にいた頃は、幸也氏関連か、CHROTOがらみくらいでしかLIVEには行ってなかったし、自分一人ではこうして行くこともなかったと思うので、カズくんが誘ってくれたのがいいキッカケになりました。
バイーアの音楽。
これも大きな意味で言えば、「黒人文化に端を発する伝統芸能」の一つ、ってことになるのかな。
さて、私がサルバドールで見たかった伝統芸能が、もう一つあります。
「黒人密教カンドンブレー」です。
ガイドブック「地球の歩き方」によると――
(ここから引用)
16~19世紀にかけてのポルトガルの植民地だった時代に、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人たちの間で生まれた宗教。
キリスト教に改宗させられる中で、特に西アフリカの宗教の影響を受けて独自に発展した。
オリシャと呼ばれる神の降臨を願って、打楽器と踊りによるカンドンブレーの儀式が行われる。
(引用ここまで)
――とのこと。
なかなか興味深いですね。
ファンタジーの取材としても、ぜひ見てみたかった。
ただしこのカンドンブレー、どこで見られるのかというハッキリとした情報がありませんでした。
青い家のおばちゃんに聞いても、私のポルトガル語が拙いこともあり、イマイチ分からない。
「地球の歩き方」には、「街の外れのほうでやってることが多いので、タクシーとガイドを雇ってグループで見に行くのがいい」的なことが書いてあります。
うーむ、なんだかハードルが高そうな……さすが密教と呼ばれるだけある……。
こんな風に困ったときには、現地の観光案内所に行くのが鉄則です。
ジェズス広場の角にある案内所で聞いてみたところ、なんと「その道の突き当たりの家でやってるよ」というお気楽な回答が。
さっそく訪ねてみると、オジサンが一人いて「日曜の昼過ぎに来なさい」と教えてくれました。
というわけで、日曜に行ってきました。
これは夜、帰り際に撮った写真だけど、こんな風に一見ただの民家のようなところでやっていました。
大きな看板でアピールしたりとかはしていません。
中もそんなに広くはありませんが、見たことのない神様を祀った祭壇があったり、壁画が描かれていたりしました。
カンドンブレーの儀式は昼過ぎに始まり、何かを燻した煙のようなものが漂う部屋の中で、まずはおとなしめの民族衣装を着たオジサンやオバサンが、ゆっくりと楽の音を奏でながら踊って回ります。
それがだんだんと熱を帯びてくると、踊っていた人々のうちの一人がいきなり倒れたりします。
神(オリシャ)が降臨するのです。
倒れた人は、いったん別室に連れていかれた後、派手な民族衣装に着替えて再登場。
トランス(催眠)状態に入ったまま、激しく踊り回ります。
儀式の一コマ。
この派手な格好で踊っているのが、私が最初に家を訪ねたときに出会ったオジサンです。
初めて会ったときはフツーの地味なオジサンだったのに、儀式での変貌っぷりはスゴかった。
私は、はじめのうちは「おお、面白い空間だなぁ」と思っていたのですが、オジサンがいったん倒れて再登場したあたりでは「なんかヤラセっぽいなぁ」と少し冷めた目で見ていました。
もちろん、ある程度は予定調和というか、わざとやってる部分もあるのかもしれません。
しかし儀式が盛り上がりを見せるうちに、私の隣で同じように見物していた親子二人(母と娘)のうち、お母さんのほうの身体がグラグラと揺れてきました。
居眠りでもしてるのかな、と思っていたら、その揺れがどんどん激しくなってきたんです。
目は虚ろで、顔中に脂汗が浮いていました。
娘さんのほうは大慌てで「お母さんがおかしくなっちゃった」と半泣き状態。
でも儀式で踊っていたオバサンが(このオバサンはまだトランス状態に入ってなかった)慣れた様子でやってきて、お母さんと娘さんを別室に連れていきました。
しばらくしてから、二人は落ち着いた様子で帰ってきました(さすがに派手な衣装に着替えたりはしてませんでした)が……あのお母さんの挙動は、絶対にヤラセじゃなかったと思います。
儀式に見入って興奮状態に陥ったのか、部屋に漂っていた煙がそうした効用のあるものなのか、それとも本当にオリシャが降臨したのか……真偽のほどは分かりませんが、とても驚いたのと同時に、底知れぬ異教のチカラのようなものを思い知らされた出来事でした。
ビックリしたよ、まじで。
ちなみにカンドンブレーの儀式の最中は、周りで見てる人に無料でビールが振る舞われました。
私は、事前にオジサンから「30レアル(≒1,500円)くらい払ってほしい」と言われていたので最初に支払ってありましたが、後から来た人を見ていても、誰もチップのようなものを渡している人はいなかったように思います。
ちょっと悔しかったので、振る舞い酒はぐいぐい飲んできました。笑
でも、30レアルくらいは安いと思えるような、とても貴重な体験でした。
11年前から来たかった、ブラジル東部の大都市・サルバドール。
憧れだった青い家、美しい街並みの歴史地区、今も夜の海に灯りを点し続けているバーハ要塞、奇跡のボンフィン教会をはじめとするさまざまな教会群、そしてカポエイラやカンドンブレーといった、黒人文化にルーツを持つ独自の伝統芸能。
約10日間の滞在でしたが、行きたかった場所にたくさん行けて、見たかったものをたくさん見ることができて、とても充実した日々でした。
この後は、既に飛行機のチケットを取ってあるイースター島に向かうために、南米大陸を東から西に横断してチリに向かっていきます。
まずはこの旅で三度目となるリオデジャネイロへ。
さらば、サルバドール!